「宮崎さん、今後は何をするのですか?また何か、面白い事、始めるのでしょ?」
前職を退職後に、よく聞かれる。
「何か、面白い事」と言われるのが、嬉しい。
私は、ただ映像を作って来ただけなのだが、皆さんの目にはそう映るらしい。
映像といっても色んな形、ジャンルがあるのだが、私は自身で企画立案するのが、
好きだった。
日本の文化をDVDにして道具とセットを作って販売した。
例えば、寿司セット。
寿司に関するハウツーをDVDにして、寿司桶、簀の子などとセットにして販売した。
国交省のお土産コンテストで賞を受賞したこともあり、テレビ取材がやってきた。
結果2万枚ほど売れた。自画自賛ではあるが、まぁまぁの成績だと思う。
その他にも、放送枠を仕入れて特番を作ったりした。
常に頭の中にあったのが、「映像の商品化」である。
下請けが当たり前の業界ゆえ、値付けが自分たちでできない不自由な業界である。
自身で値付け出来ない限り、儲からないと思っていた私は、会社の継続には、
「商品化」しかないと考えていたのだ。
お客さんは、そんな私の行動を見て、評価してくださったのだと思っている。
では、次の仕事は何をするのか。
新卒から35年余り、ずっと映像制作者としてやってきた私が、他に何ができるのか。
その答えが、「フィリピンでニッポンのイチゴを作る」である。
あまり知られていないのだが、ニューヨークで日本人が日本のイチゴを作っている。
畑ではなく、建物内で水耕栽培で作っている。
じゃ、フィリピンでもできるじゃん。
「フィリピンでニッポンのイチゴを作ります」と答えると、だいたい回答はこうだ。
「フィリピンって、イチゴって作れるのですか?」
そりゃそうだ。
南国で低温で育てるイチゴを作る、矛盾している。
しかし、映像制作者ゆえ、このギャップが面白いと考える。
良いタイトルだなぁ、これウケよねと。
こうなると、制作者としてのやる気の首が持ち上げる、ある種の病気だと思う。
もう一つ、言われることがある。
「宮崎さん、イチゴ作ったことあるのですか?」
答え「ない」
私は農家ではない。
せいぜい、家庭のプランターでミニトマトの栽培止まりだ。
たぶん、作ったことがないから、作りたいと言えるのだと思う。
農家に聞いたら、皆さん、ノーであろう。
そんなめんどくさい事は、しないからである。
日本で作れるものを、わざわざフィリピンに持っていく必要がないからだ。
前職、私の映像制作の職種は、プロデューサーであった。
フィリピンにニッポンのイチゴの産地を作る、私はイチゴは作らない、イチゴは作っている人に依頼する。
いわゆる私の仕事は、プロデューサーだ。
気が付いたら前職と同じであった。
こうして、フィリピンでニッポンのイチゴを作るプロジェクト、という新たな野望が
開始することとなった
これから、このプロジェクトの進捗と、ニッポンのイチゴ事情など、プロジェクトにかかわる事を綴っていこうと思う。
何年かかるか、資金が続くか、不確定要素は満載だが。
口にした以上、達成しないといけない。
このプロジェクトの本質は、ニッポンの良さを伝える事だ。
だから、達成せねばならぬのだ。