2023年9月15日。
マニラでの所要が完了し、いよいよ、イチゴの産地であるバギオに向かう。
マニラからバギオまで350キロあまり。東京・名古屋間と同じくらいだ。
高速道路があるので、通常なら車で5-6時間程度。
しかし、マニラ市内は常に渋滞である。
高速道路に上がるまでにめちゃ時間がかかり、夕方の出発にもかかわらず、
8時間以上かかり深夜の到着となった。
車中、長野の菊池さんに紹介していただいた菊池さんと一緒に働いていた、
イアンさんに連絡する。
翌日、10時にホテルのロビー、待ち合わせとなった。
まずは一安心。
翌日、10時。
ロビーにはイアンさんの姿があった。
少しぼっちゃりした好青年という感じである。
バギオは高原の街、少し離れた郊外はこんな感じ。
山肌に住宅がひしめき合っている
彼の案内で、農園に向かった。
車中、今までの経緯と、このエリアでニッポンのイチゴを作って欲しいと
いう意向を伝えたところ。
「もちろんオッケー大歓迎、ニッポンのイチゴは甘くておいしいので、
高く売れると思う」という。
ニッポンのイチゴの苗は手に入らないので、以前から欲しかったそうだ。
イアンさんが住む町は、バギオの隣、トリニダット州にある。
バギオはマニラの富裕層の別荘地ということもあり、高級な香りがするのだが、
隣のトリニダットは、そうでもない。一般的なフィリピンの街並みである。
イアンさんの農園に到着。
少し前にハリケーンが来たとのことで、畑は荒れていた。
使われているビニールは韓国製、日本製に比べると強度が弱いそうだが、
日本製は手に入らないし、入っても高いので韓国製を使っているのだという。
そのビニールの下には、イチゴが育っていた。
フィリピンでイチゴを作っていたのは、本当であった。
信じてなかったわけではないが、実際見るまでは半信半疑であった。
植えられていたのは、アメリカの品種「スイートチャーリー」であった。
スイートチャーリーは育てやすい反面、身が固く酸味が強く感じる。
ジャムに適した品種である。
イチゴが少し残っていたので、食べてみた。
私が子供の頃は、イチゴに砂糖や練乳をつけて食べていた。
スイートチャーリーは、そんな昔のイチゴの味がした。
ニッポンで実習生としてイチゴ栽培を学び、フィリピンに帰ってきて、
イチゴを作っている実習生は少ないのだという。
多くはレタスなどの野菜を作っているのだそうだ。
その理由、ニッポンのイチゴは強靭なビニールハウスを作ることから
始まるので、先行投資が高額なのだ。
こちらでは単価も安いので、そんなお金を掛けた作り方はできないのだという。
しかも、ニッポンの品種は手に入らない。
フィリピンは露地に直接植えるか、植えた上にビニールをかけて育てている。
それは、私が子どもの頃の作り方だ。
ならば、このフィリピンの作り方にあった日本の品種を探して持ってきたら
良いのではないか。
実習生がこの地で、ニッポンのイチゴを再現できる近道である。
イアンさんにそう伝えると。「それはナイス、アイデアだ。」
かくして、この地でニッポンのイチゴを作るプロジェクトが開始した。
2023年9月16日が開始日である。