約20年間の間、恐らく200名近い実習生が菊池さんの元で学び、
フィリピンへ帰って行った。
実情は労働力の提供なのだけど、実習生という名前が付いているので、
あえてそう書く。
「菊池さん、そのうち、何人くらいが現地でイチゴを作っているのですか?」
「たぶん、一人だけだと思う」
「えー、どうして」
不思議だ。
その理由は、すぐに分かった。
日本では、イチゴはハウスで栽培している。
フィリピンでは露地栽培がメインだ。
同じようにハウス栽培しようとしたら、莫大な資金が必要となる。
そうビニールハウスが高額で買えないのだ。
よって、いくら日本でイチゴ栽培を経験しても、現地での再現性が全くない。
フィリピンでのイチゴは露地栽培が主だ。
私が子供だったころは、日本も露地栽培が主流だった。
子供の頃のイチゴの記憶は、硬くて小さくてあまり甘くない。
だから、私たちは砂糖を付けたり、練乳をかけて食べていた。
イチゴの風味を楽しんでいたのだ。
しかし、日本が豊かになり、量から味を求める時代になった。
すると、野菜や果物の品種改良が始まった。
イチゴに限って言えば、身が大きくなり柔らかく、糖度が増して旨くなった。
それは、外敵から身を守ることができるハウス栽培が可能になったからである。
イチゴの身が固いのは、自身の身を守るためでもあるのだ。
つまりフィリピンは、私が子供の頃の農業が基本になっているとも言える。
人件費が安いフィリピンでは、現状は、まだそんなところなのかも、知れない。
フィリピンで菊池さんの支援を受け、たった一人だけハウスを中心とした
日本仕様に近いイチゴ栽培を行っている人物。
菊池さんは、仲間とともに一緒に簡易的なビニールハウスを、彼のために
現地で作ったのだという。
「でもかなり前のことだから、もう維持できてないと思う。」
と菊池さんは言う。
「最近、電話しても出ないし、ちょっと心配しているんだよ」
彼の名前は、イエンさんという。
「イエンの連絡先、教えるから。連絡取ってください、菊池の紹介っていえば、
大丈夫だと思うよ」
私は電話番号をメモした。
彼に会ったら、報告しますと菊池さんには、伝えた。